アイリッシュパブでよく見る三つ葉のシンボルについて知っていますか。実はここにもケルト人の秘密が隠されていたようです。クローバーではないですよ。
アイリッシュパブでよく見る三つ葉のシンボルについて知っていますか。実はここにもケルト人の秘密が隠されていたようです。クローバーではないですよ。
アイルランドのシンボル、「シャムロック」
アメリカ映画 「エリン・ブロコビッチ」を見ていたところ、ジュリア・ロバーツ演じる主人公、エリンがこう言いました。
「それ (廃液槽跡) は埋め隠されてるの。あんまり気をつけてやってないわ、だって表面を1インチでも掘れば土はシャムロックみたいに緑なんだから。」
" They've been covered over. And not too carefully, because if you dig one inch under the surface the dirt's as green as a f*****g shamrock."
この映画はジュリア・ロバーツが産業廃棄物で地域を汚染する、巨大企業に対する訴訟で奮闘する、実話に基づいた話ですが、この台詞は彼女がボスの弁護士に、汚染されて緑色になった土壌を説明するのに使った言い方です。エリン (Erin) はアイルランドの国名エール (Eire) が由来の名前で、そういうことを脚本家が意識してこのような台詞を入れたのかも知れませんが、シャムロックが「緑」の代名詞に使えるだけアメリカでは一般的なようです。 (ちなみに日本語の字幕では「掘り返せば汚染された証拠が出るわ」でした)
アイリッシュパブなどでよく見かける3つ葉の植物はアイルランドの国花、シャムロック – Shamrock です。World Intellectual Property Organization (世界知的所有権機関) にアイルランドのシンボルとして登録されています。アイルランドの国章はアイリッシュ・ハープ (竪琴) なので、日本で言えば桜のようなものでしょう。シャムロックは、聖パトリックが布教に使ったということ以外は何も分からないので、探ってみることにしました。でも、日本の様々な百科事典を見てみましたが、シャムロックに言及するものは一切ありませんでした。これは手ごわそうです。
エメラルドグリーンの島
アイリッシュパブに限らず、ヨーロッパ、北米、オーストラリアでも、アイルランドとシャムロックはフランスとワインのように誰もが思い浮かべる関係です。オーストラリアと共にアイルランド系の人が多いアメリカでは、先の映画のようにグリーンはアイルランドの色として、シンボリックに祭りや映画などに出てきますが、3月17日のセント・パトリックス・デイにはグリーンを身に付けていないとつねられるといった遊びもあるようです。
このアイルランドのシンボルカラーの緑もシャムロックが由来だと言われています。アイルランドはメキシコ湾暖流のおかげで一年を通して寒暖の差が少なく、積雪もほとんど無く、湿度が高いせいか芝が一年中青々しています。エメラルドグリーンの島と言われるゆえんです。そんな緑の島、アイルランドでシャムロックは簡単に見つかります。
シャムロックと聖パトリック
そもそもシャムロックがアイルランドのシンボルとなったのは、アイルランドの守護聖人、聖パトリックとの関係であると言われます。聖パトリックがキリスト教をアイルランドの人たちに布教する際に、三位一体を説明するために使ったということです。聖パトリックはシャムロックの3枚の葉をそれぞれ、父なる神、子イエス・キリスト、聖霊、に例え、それらが一つの茎でつながっていることを示して三位一体を説いたのです。しかしです。実際に聖パトリックがシャムロックを使ったかは不明な点があり、この話が文字として記録されている最も古いものでも、聖パトリックの死後1000年近くたっています。
特別な数字「3」
キリスト教がアイルランドにもたらされる以前からシャムロックはケルト人の魔術師で預言者的存在であるドルイド僧の間では神聖な植物だったようです。紀元前5世紀ごろから紀元前1世紀ごろまでヨーロッパに定住し、その後ローマ帝国によってアイルランドやウェールズなどの一部の地域に追いやられたケルト人。中でもアイルランドはローマ帝国の侵略を受けなかったためにケルト文化が色濃く残りました。謎の多いケルト人ですが、そもそもそのケルト人の間では 「3」 という数字は特別な数字でした。
そういった 3 への信仰を物語っているものにケルト神話の三組神 (Triad – トライアッド) があります。これはケルトの神々がしばしば三体で一組の神となるというものです。例えばケルト神話に出てくる戦の女神モリガン (Morrigan) は、バドヴ (Badb)、マハ (Macha)、ネヴァン (Nemain) というかたちで神話に登場します。同じように女神ブリギド (Brigind) は、詩文の才、治癒、鍛冶という三つの要素を司っています。女神マトレス (Matres) は赤子を抱いたもの、産衣持つもの、哺乳瓶を持つものといった三様の形があります。また、ケルトの信仰の対象であった人頭ですが、カウンティー・キャヴァンで出土した石の頭には三つの顔があります。
その他、アイルランドの神話・伝承には3人の兄弟や息子、3つの頭の怪獣などがよく出てきます。ケルトの詩や物語では、数を記すときに 3つの20 や、3つの50 と、3組で表現することが多くあります。また、装飾でも 3 はよく見られます。発掘された銀製の釜に3頭の牡牛、3人の戦士の浮彫りがあったり、貨幣に3つの顔が刻まれていたりします。3本の角を持つ牡牛の彫刻が発見されたりもしています。マン島の三脚の紋章(三脚ともえ紋)はケルトが起源と言われています。
そんなケルト人にとって呪術的な意味を持つ、3 という数の葉を付けたシャムロックは、まさに神聖な植物だったのです。
アイルランドではキリスト教が流血を伴わず布教された場所でもあります。アイルランドでの布教は土着の信仰を尊重する形で行われました。聖パトリックが、古代から人々が既に持っていた信仰になぞらえ、シャムロックを使って三位一体を分かり易く説明したとしても不思議なことではありません。その後シャムロックはその意味合いが変わってゆきます。17世紀にはアイルランドでは、イングランドによってアイルランド語とカソリックの信仰を禁止され抑圧された状態に対するナショナリズムの表現として、シャムロックを身に付けることが行われたりもしました。その弾圧下19世紀には身に付けることで捕まり処刑されることもありました。
アイルランドを出ると!?
こんなシャムロックがアイルランド島を出ると不思議なことがおこります。例えばアメリカに行くとアイリッシュとの関連イベントに4つ葉のクローバーをたまに見かけます。そもそも4つ葉のクローバーは見つかりづらいということから縁起の良い幸運のシンボルとなっていますが、調べてみてもシャムロックとの関係を示す資料は見つかりませんでした。シャムロックがアメリカに渡って他の習わしと混同されたのでしょうか。
また、スコットランドのプロ・サッカーリーグにグラスゴーを本拠地とするアイルランドで最も人気のある、セルティック(The Celtic Football Club)というチームがあります。もう一つのグラスゴーのチームでライバルにレンジャーズがあり、両者が対戦する試合は「オールド・ファーム・ダービー」としてすごい盛り上がりになりますが、このセルティックのシンボルも4つ葉です。プロテスタントのレンジャーズに対抗してアイルランド系の人たちが作ったカトリックのセルティックは、アイルランドとのつながりが強いチームですが、なぜか4つ葉です。これはもう少し調べてみないと分からない謎です。
シャムロックはどの植物?
シャムロック – Shamrock (Seamróg) – とはアイルランド語で、若い牧草(クローバーなど)を意味します。ちなみに、クローバーの語源を調べると、ローマ神話の英雄ヘラクレスが持っていた棍棒に三つこぶがあり、クローバー (ツメクサ) の形がその棍棒に似ていたので、ラテン語で棍棒を意味するクラバ(clava)がクローバーに変化したそうです。つまりシャムロックとは語源が違うのです。
ではいったいシャムロックはどの植物を指すのでしょう。シャムロックを英語圏の百科事典で調べると、
wood sorrel | ( Oxalis acetosella コミヤマカタバミ) [カタバミ科 カタバミ属]、 | |
white clover | ( Trifolium repens シロツメクサ) [マメ科 シャジクソウ属]、 | |
suckling clover | ( Trifolium dubium コメツブツメクサ) [マメ科 シャジクソウ属]、 | |
red clover | ( Trifolium pratense ムラサキツメクサ) [マメ科 シャジクソウ属]、 | |
black medic | ( Medicago lupulina コメツブウマゴヤシ) [マメ科 ウマゴヤシ属]、 |
とあります。結局、一本の茎から3つ葉が出ている植物は何でもシャムロックになってしまうようです。シャムロックとは3つの葉をもつ植物をモチーフにした装飾デザインで、特定の品種を指してはいないようです。まあ、そのほうが神秘的です。アイルランドだけに人知れず生えている植物かも知れません。なお、アイルランドのお土産店で見るシャムロックの押葉や、お土産用の種から生えて来るシャムロックを見ると日本で3つ葉として連想するものよりも小ぶりのようです。
シャムロックはあちこちに
今ではシャムロックは宗教色も薄れ、アイルランドのシンボルとして欧米では広く知られています。アイルランドのお土産屋さんにもシャムロックがたくさん並んでいます。いろいろなものにモチーフとして使われています。
コネマラ・マーブル |
サッカーの国際試合では北アイルランドとアイルランド共和国はそれぞれチームを出していますが、ラグビーの国際試合では伝統的にオール・アイルランドとして北アイルランドとアイルランド共和国とで合同チームを作って出場しています。そこでチームのシンボルとして使われているのがシャムロックです。ちなみにUKの中で、北アイルランドのシンボルもシャムロックです。アイルランドの国営航空会社、エアリンガス(Aer Lingus)は大きなシャムロックを尾翼につけています。これがアメリカに飛んで行けばアイルランド系の人たちはアイルランドに行きたくなるのではないでしょうか。日本とアイルランドの間には直行便が無いので、エアリンガスには頑張ってもらい、日本にシャムロックを運んできてもらいたいものです。
結局、2,500年以上もアイルランドの歴史をさかのぼることになりましたが、シャムロックは思った以上にアイルランドにとって特別なシンボルでした。これでシャムロックの謎が少し解けました。今度、友人とセント・パトリックス・デイ・パレードを見るときや、パイントの上に描かれたシャムロックを味わうときは、ケルト人と聖パトリックの神秘について、少しうんちくを披露してみると話が盛り上がるかも知れません。
[2005年11月 Samon]
参考文献:
ケルト人の世界 / T.G.E.パウエル著 / 笹田公明訳 / 東京書籍
幻のケルト人 ヨーロッパ先住民族の神秘と謎 / 遠藤 紀勝、柳 宗玄著 / 社会思想社
ケルト神話 / プロインシャス・マッカーナ著 / 松田幸雄訳 / 青土社
図説ケルト神話物語 / イアン・ツァイセック著 / 山本史郎、山本泰子訳 / 原書房
ケルト神話と中世騎士物語「他界」への旅と冒険 / 田中仁彦著 / 中央新書
物語アイルランドの歴史 欧州連合に賭ける”妖精の国” / 波多野裕造著 / 中央新書
図説世界シンボル事典 / ハンス・ビーダーマン著 / 八坂書房
西洋シンボル事典 キリスト教美術の記号とイメージ / Gハインツ=モーア著 / 八坂書房
The New Encyclopedia Britannica / Encyclopadia Britannica Inc.
Encyclopedia Americana / Grolier Inc
日本大百科全書 / 小学館
原色牧野植物大図鑑 / 牧野富太郎著 / 北隆館
BBC News (web site)
The History Channel (web site)
The Encyclopedia Mythica www.pantheon.org
Cavan County Museum www.cavanmuseum.ie
Cavan Tourism www.cavantourism.com |
図説 ケルト神話物語 |