日本では必修科目履修漏れが話題ですが、必修科目を勉強しても日本の世界史には出てこないアイルランド史を題材とした、カンヌのパルムドール受賞映画を紹介していただきました。
『麦の穂をゆらす風』の試写へ行く
[by Samon, 2006年11月]
今年2006年のカンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルムドールを受賞した、『麦の穂をゆらす風』を試写会でいち早く見ることができたのでご紹介します。当日、試写室は満席でした。
映画は名も無い人々の姿を題材にしてきたイギリス人のケン・ローチ監督の作品です。ストーリーは1920年代の英国に対するアイルランドの独立戦争から内戦に移ってゆく中、南部、コークの村のある兄弟を中心に激動の時代の様子を描いています。同じような時代を作品にしたものに『マイケル・コリンズ』(96年) があります。『マイケル・コリンズ』がそのタイトル・ロールの主人公やエイモン・デヴァレラなどの歴史の表舞台に出てくる人物の姿を描いたのに対し、『麦の穂をゆらす風』はその時代に生きた一般の人々の姿を描いています。原題の『 The Wind That Shakes The Barley 』 はアイルランドのレベルソングのタイトルからとったそうで、映画の中でも歌われています。主演のキリアン・マーフィーを含めコーク出身の俳優が集められ、映画の冒頭、話されている強いコーク・アクセントの英語がとても聞き取りづらく驚かされました。
映画は、緑多い草原でのどかにアイルランドのスポーツ、ハーリングを楽しむ主人公達の姿から始まります。突然、悪名高きブラック・アンド・タンズが平和な村を襲い、恐怖の時間が去った後、不条理に殺された友人とその家族が残されます。そんな体験などを通し、医者になるはずの主人公、デミアンが、皮肉にも銃を持つようになってゆきます。幼馴染を殺すことなど辛い経験を通し人間的な感情を押し殺し、少しずつ理想のために冷酷にならざるを得なくなってゆく姿は、他に方法は無かったのかと、運命の残酷さを感じます。スポーツであるハーリングのスティック、ハーリーが軍事訓練の中でライフルの代わりになっているのが殺し合いの虚しさを表しているようで印象に残りました。
英国軍がアイルランドから撤退し、外国の支配からやっと解放たれ、家族や友人が平和に一緒に暮らせると思ったとき、今度は独立のあり方を巡って内戦へと発展してゆきます。主人公の恋人、シネードとその母親と祖母とその家が、アイルランドのたどった悲劇を象徴しているようでした。かつては英国軍によって蹂躙され、反英闘争のために場を提供し、今度は同郷人によって悲劇がもたらされる。そんなシーンがアイルランドの皮肉な運命を表しているようでした。そして主人公デミアンとテディーの兄弟にも悲痛な運命が待っています。
映画では、目を逸らしたくなるような場面や、涙がこみ上げてくるような場面がありますが、ハリウッドのような派手な演出ではありません。襲撃の際に右往左往するカメラや、撃ってもなかなか当たらない銃、登場人物たちを追いながら淡々と進むストーリーなど、セミ・ドキュメンタリー・タッチの演出は逆に引き込まれます。
映画は小さな村に住む人たちの目から描かれ、独立戦争から自治獲得と内戦に移る政治的なプロセスの説明は殆んどありません。主人公達は映画館のニュース・フィルムでイギリス・アイルランド条約 (Anglo-Irish Treaty) のことを知るように、私たち観客にも説明はそれだけです。情報の少ない環境で、意見を戦わせ、手探りで国の自由を求めて草の根的に国民が突き動かされていった当時の状況がわかるようです。歴史的説明が少なく等身大の一般市民を中心にしていることが逆にこの映画をアイルランドだけにとどまらないストーリーにしているようにも思えます。イギリスでは反英国映画だという意見も出たようですが、そのようには思えませんでした。強大な力によって虐げられた絶望的とも思える生活から抜け出すために、結局は銃を手にしなければならない状況におかれる主人公達のストーリーは、現代にも起こりうる悲劇であり、イギリス人のケン・ローチ監督が、自国による帝国主義時代の暗部をあえて、今、描いた意図を考えさせられます。
主人公を演じるキリアン・マーフィーの演技が素晴らしいです。全くカメレオンのようで、『バットマン・ビギンズ』の切れた演技や、『プルートで朝食を』での女装の妖艶な演技からは想像つかない、苦悩し理想に燃える熱い主人公を、説得力をもって演じています。
見終わった後、時代に引き裂かれた人々の運命がズシリと重くのしかかり、考えさせられる映画です。お勧めします。
『麦の穂をゆらす風 / The Wind That Shakes The Barley』
2006年 アイルランド-イギリス-ドイツ-イタリア-スペイン 作品
配給 シネカノン
The Wind That Shakes the Barley – Official Trailer |
Festival de Cannes : www.festival-cannes.org INJ – 映画「マイケル・コリンズ」のダブリン歴史名所 |