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2017.04.30article

Taroさんのアイリッシュパブ観を紹介します。

Taroさんのアイリッシュパブ観を紹介します。

私のアイリッシュパブ考

 

世界的ブランド
アイリッシュ・パブは日本でビール会社の作り出した架空の販促用のコンセプトではないかと言う意見を聞いたことがありますが、そんなことはありません。アイリッシュ・パブは日本ではやる前から海外では大人気です。例えばアメリカでは、アイリッシュパブやイングリッシュパブと謳って、アイデンティティーを強調しているパブが多くあります。アイリッシュの人は良く思わないかもしれませんが、海外ではアイルランド人は大酒飲みで大らかというイメージから、楽しむのならアイリッシュパブという、ある意味一つのブランドになっているようです。

アイリッシュパブとイングリッシュパブ
そこでアイリッシュパブとイングリッシュパブとの違いは何かと言われますが難しい質問です。どちらも木の家具で木のぬくもりを強調した造りになっていて snug といった個室のような仕切りがあったりするところも同じです。店の名前の付け方が違うとか、出しているビールの種類が違うとかという意見もあって、もっともだと思いますが、私が個人的に考えている違いは雰囲気です。語源のパブリックハウスというところから気軽に入ってくつろげる場所というコンセプトは同じだと思いますが、このくつろぐ雰囲気にお国柄が出るのではないかと思います。

例えばイングリッシュパブは本棚があって古そうな本が多く並べられている書斎風なパブがあったり、古い建築様式で作られたパブに人気があったり、全体的に綺麗にまとまっている印象で、伝統を楽しむような雰囲気があります。

それに対してアイリッシュパブは、ダブリンには歴史的な理由からかジョージ王朝様式のパブもあったりしますが、全体的には素朴な造りのパブが多いようです。昔は薬屋で壁に薬の引出しがそのまま残っていたり、雑貨屋がそのままパブになったような内装だったり、置物も無造作に置かれていたりして、どちらかというと庶民的な雰囲気があります。

とは言うもののやはり厳密には定義しづらく、結局のところそこに集まる人がその雰囲気をつくる一番大きな要素になるということでしょうか。

パブとチッパー
日本のアイリッシュパブではフィッシュ&チップスやアイリッシュ・シチューなどが人気ですが、アイルランドでは基本的にはパブでは食事はしません。パブに食べ物はあってもサンドイッチ程度です。比較的大きなパブではトレーに選んだ食事をのせてもらう、パブ・ランチがありますが夜はありません。パブに行くときは食事をとってから行き、パブを終えておなかがすいていたら、チッパーと呼ばれるフィッシュ&チップス専門店でチップス (フライドポテト) を食べます。パブフードは日本の居酒屋の伝統からできた日本独自のパブ文化だと思います。おかげでアイルランドの食べ物が食べられます。

ラウンド
パブで友達とビールを飲むときは互いにおごりあって飲みます。例えば3人で飲みに行くと一人目が3人分を買います。この一グループ分をラウンドと言いますが、このラウンドが飲み終わるころに2人目が次のラウンドを買います。そして3人目と。結局、払う金額は同じになりますが、おごってもらっている時は気分が良いものです。パイントより小さいサイズをグラスと言いますが、男性はちょっとマッチョなところがあってグラスで飲むのは恥ずかしいと、無理そうでもパイントを注文です。ですから一通りラウンドが終わるころにはかなり飲むことになります。ラウンドは友達付き合いの潤滑油のようなものになっているようです。

こんなことを書いていたらパブに行きたくなってしまいましたのでこれにて失礼します。

[2004年6月 Taro]

Irish Pub Guide http://irishpubguide.com/

INJ Link 日本のアイリッシュパブの利用法
INJ Link INJ – アイリッシュパブ in Japan

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2017.04.30article

ソーダ・ブレッドのレシピを Kazue さんが教えてくれました。アイルランドの味をご自宅で試してみてはいかがでしょう。

ソーダ・ブレッドのレシピ

ソーダ・ブレッドのレシピを Kazue さんが教えてくれました。アイルランドの味をご自宅で試してみてはいかがでしょう。 ソーダ・ブレッドのレシピ
 

このソーダブレッドのレシピは、フェスティバル用にアレンジされたものです。低脂肪乳を使わずに 3.6牛乳を、ふすまの替わりにグラハム粉を使用し、通常の2倍の量で大きなものを焼くようにしてあります。

< 必要な物 >

  • 牛乳(脂肪分 3.5%) 300cc
  • プレーンヨーグルト 300cc
  • 水 50cc
  • 全粒粉 700g
  • 薄力粉 250g
  • グラハム粉 50g
  • 重曹 小さじ3
  • 三温糖 50g
  • 塩 小さじ 2
  • バター 50g
  • 耐熱皿 直径23cmぐらい
  • オーブンシート(パラフィン紙)30cmぐらい

< 作り方 >

  1. オーブンを200℃に温める
  2. ボールに牛乳・ヨーグルト・水を入れ、泡立てないように泡立て器でよく混ぜ合わ せ、とろとろした牛乳を作って置く
    (ちょっと一言:バターミルクが日本では手に入 らないので、このような液体を作ります。低脂肪乳を使う場合は、水は使用せず、低脂肪乳を350cc入れて下さい。)
  3. 大きいボールに(鍋でも可)全粒粉・薄力粉・グラハム粉を入れ、粉だけを泡立て 器でよく混ぜ合わせる
  4. (3)に重曹を加え、泡だて器で更によく混ぜる
  5. (3)に三温糖と塩を加え、再び泡立て器でよく混ぜる
  6. (5)に柔らかくしたバターを入れ、こねないようにバターの塊りがなくなるまで良く 混ぜ合わせえる
    (ちょっと一言:粉が含んだ空気が抜けるようなこね方はしない で下さい。両手でバターを入れた粉をすくい、拝むように手を擦り合わせて混ぜる合 わせるといい感じになります。バターの塊りが残っているのは厳禁です)
  7. (6)に(2)で作っておいた液体を3分の2ほど一機に加え、こねないように底からかき 混ぜて混ぜ合わせる。水分の無いポソポソした部分がなくなりそうもない場合は、 残った液体を少しだけポソポソした部分に加え、パンのタネをまとめる。

    (ちょっと 一言:このとろとろした牛乳液は多めに作ってあるので、全て加えてしまうと、水分 の加えすぎになりやすいです。混ぜ合わせたパンの種がビチャビチャしている場合 は、牛乳液の入れ過ぎです。)
  8. 耐熱皿の上にオーブンシートを敷き、(7)をオーブンシートの上にあけて、直径20 cm厚さ4cmの円になるように整える。真ん中は、周囲より1~2cm低くなるよ うに凹ませる。
    (ちょっと一言:形を整えるときに、打ち粉は使いませんちょっと不恰好の方が見た目美味しそうにできます。)
  9. (8)の上に薄力粉を降りかけ、十字にナイフで切り込みを深めに入れて、200℃に 温まったオーブンで12分焼く。そして、180℃で更に40分焼く。
  10. 竹串で刺し、何もついてこなかったら焼き上がり。ついてくる場合は、竹串になに もつかなくなるまで焼く。焼きたてのパンは、ふきんに包んで水分が蒸発しないよう にし、そのまま冷ます。

お好みのサイズにスライスしてバターなどを付けてお召し上がりください。

[2004年9月 Kazue]


INJ Link アイリッシュ・シチューのレシピ

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2017.04.30article

日本で静かなブームのラム(仔羊)はアイルランドでは手軽に手に入るお肉。この簡単に作れる美味しいシチューはアイルランドの家庭の味です。 Kazue さんのレシピです。

アイリッシュ・シチューのレシピ

日本で静かなブームのラム(仔羊)はアイルランドでは手軽に手に入るお肉。この簡単に作れる美味しいシチューはアイルランドの家庭の味です。お馴染み Kazue さんのレシピです。 アイリッシュシチューの作り方 (4人前)

このシチューは INJのイベント用にアレンジされています。ご家庭でも作りやすいように、4人前で材料を計算しなおしました。尚、とろみをつけるのに、大麦を使用するところを、薄力粉にしてあります。

 

< 必要な物 >

  • ラム肉 400g
  • ジャガイモ 3個
  • にんじん 小さめ2本
  • 玉ねぎ 大きめ1個
  • ローリエ 1枚
  • タイム(乾燥で荒く刻んであるもの) 小さじ2
  • 塩 適宜
  • 胡椒 適宜
  • 水 適宜
  • 薄力粉 適宜(大さじ1弱ぐらいかな)
  • パセリ 適宜
    (無くても可。乾燥でも生でも荒く刻んだもの)

< 作り方 >

  1. ラムは脂肪部分を取り除き、2cm角のキューブ状にカットする
  2. ジャガイモは皮をむき、1個が8等分の四角っぽい形になるようにカットする
  3. にんじんは皮をむき、1口サイズの乱切りにする
  4. 玉ねぎの皮をむき、2cm x 3cmぐらいの大きさに切る
  5. 大きめの鍋にラムを入れて平らにならし、その後、じゃがいも・にんじん・玉ねぎ の順に入れ、層になるように重ねていく
  6. 一番上の玉ねぎの位置まで水を入れ、ローリエとタイムを加え、強火にかける
    ちょっと一言:この時に混ぜる必要はありません。ローリエは入れすぎると美味し くないので注意。)
  7. アクがでたらすくい取り、煮立ってきたら軽くかき混ぜて塩・胡椒で味つけをし、 中火にして約1時間煮込む
    ちょっと一言:アクをとてもキレイに取ってしまうと、 コクがなくなってしまう気がします。大雑把に取るぐらいがいいようです。)
  8. 煮込みの1時間が過ぎたら、味見をして塩・胡椒で整える。
  9. とろみを付けるために、鍋からスープをカップ1杯分ぐらいボールに取って冷ま し、冷ましたスープに薄力粉を入れて混ぜ合わせてから鍋に戻し、よくかき混ぜる
    ちょっと一言:水に薄力粉を入れて溶かしたものをとろみづけに使うと、スープの 味が薄くなってしまうので、わざと煮込んだスープを冷まして薄力粉を加えました。 薄力粉を溶かす時、取り分けたスープが熱いとダマになってしまうので注意して下さ い。)
  10. 1人前を深い皿に盛り、パセリを振る
     

手間がかからず簡単で、お好みの材料でアレンジも出来ます。ぜひ試してみて下さい。

[2005年5月 Kazue]


INJ Link ソーダ・ブレッドのレシピ

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2017.04.30article

日本でアイルランドのことをなかなか理解してもらえないことに怒るパブ助さんのお話です。

日本でアイルランドのことをなかなか理解してもらえないことに怒るパブ助さんのお話です。


ああ、勘違い – アイルランドだぁ~

極寒の地だとか、イギリスの一部とか、これまで遭遇したアイルランドに関する誤解を アイルランド・ファンを勝手に代表して、ちょっとヒステリックにリストアップしました。怒ってるぞ~。

 

エンヤとかビョークっていいよね 
 

ビョークって誰だ~ 
ビョークはアイスランドの人。エンヤも 『雪と氷の旋律 (And Winter Came)』 なんてアルバム出すから日本人が混乱するんだ~(怒)。
     
極寒の地、寒いんでしょ 
 

極寒はないだろ~ 
Map雪も滅多に降らないし冬は東京ぐらいの気温。 経度が似たお隣、イギリスのリバプールやマンチェスターには「極寒の地」とは言わないのにね。
日本で見かけるアイルランドに付けられる他の修飾語には、「激寒地」、「厳冬」、「寒い国」といろいろあります(溜息)。
     
北欧神話があるよね 
 

北欧じゃな~い 
北欧はアイスランドやフィンランド、スカンジナビア半島の国々。それにアイルランドはケルト神話。
「長い冬が終わると・・・」っていうのも絶対に北欧と混同してる。パブの紹介にも「北欧気分を満喫」だって(苦笑)。
     
温泉入りたい 
 

日本にいっぱいあるだろ~。  punpun
Lady's View火山観光や露天風呂があるのはアイスランド。アイルランドには活火山はないし温泉には入れません。
ちなみに、アイルランドは台風もなければ地震も無い、自然が起こす天変地異とは無縁の国です。
     
経済破綻したんでしょ 
 

勝手に国をつぶすな~  punpun
悲しいことですが銀行が倒産して各国から融資を受けたのは通貨クローナのアイスランド。 アイルランドはユーロの EU 圏でなんとかガンバってます。でも、かつてケルティック・タイガーと呼ばれた経済は、金融危機で他国同様、不況の波に襲われています。
     
Iceland
 アイルランド 
 

Ireland
これがアイルランドの形!
ウェブ上で見てびっくり。ちなみに首都もレイキャビクではなくてダブリン。
     

#

 

英国展に本場のアイリッシュパブが出店!
 

アイリッシュなら愛蘭土展だろ~  punpun
Cartland'sアイリッシュパブが 「本場イギリスの雰囲気」 というのも怒るぞ~。
古いものは12世紀からあるアイルランドのパブ。気さくなアイルランド人がつくる独特の雰囲気をもったものが(特に田舎に)多くあります。
     
イギリスのアイルランド地方 
 

Irish Flag勝手に地方を作るな~  punpun
アイルランドはアイルランド共和国という独立国です。 ちなみに「イギリス」は和製英語で、あそこは連合王国 (United Kingdom) 。スコットランドもウェールズもそれぞれが国。この中で連合王国から独立したのはアイルランドだけです (その際、北アイルランドが UK に残りました)。
     
セント・パトリックス・デー! イギリス大好き!
 

ほんとに好きなのかぁ~???
セント・パトリック聖パトリックはアイルランドの守護聖人 。シャムロックを使ってアイルランドにキリスト教を布教した聖人です。ちなみに、 イングランドの守護聖人は聖ジョージ、ウェールズは聖デービッド、スコットランドは聖アンドリュー。
     
英国圏でしょ 
 

苦労して独立したのに怒られるぞ~ 
英語圏ならいいけど英国圏はないでしょ(涙)。アイルランドは英国圏どころか、オーストラリアのようなコモンウェルス (Commonwealth/イギリス連邦) の一員でもありません。
     
イギリスでアイリッシュ・シチューを食べよう 
 

アイリッシュ・シチューならアイルランドに行け~ 
Irish Stew"アイリッシュ" シチューはアイルランドのジャガイモを使った家庭料理。
ちなみに、イギリスならカレーでしょう。イギリス人の友人曰く、「今や、イギリスのナショナル・フードはカレーだ」とのことです。
     
英国のロックバンド、U2 
 

U2 はアイルランドのロックバンドだ~  punpun
これだけビッグになっても勘違いされてるんですね (哀)。
U2 はイギリスやアメリカで活躍してるけどアイルランド、ダブリン出身のバンドです。初期の歌を聴いたら彼らのソウルはアイルランドにあると分かるはずなのですが・・・。
     

 

Irelandアイルランドは温暖なメキシコ湾流と大西洋からの南西風によって、一年の寒暖の差は日本よりも少なく、一年中緑に覆われているので、エメラルドの島 ( Emerald Isle ) と呼ばれています。1922年に独立し、1948年にはアイルランド共和国となりました。 アイルランド ( Ireland ) の名前はそのアイルランド語名の IcelandEire ( エーァ /日本語では「エール」となってます) が英語化されて土地を表す Land が付いた、Eire land が語源。ちなみに、アイスランドは氷 ( ice ) の土地 ( land ) 。イングランド ( England ) はアングル人 ( Angeln ) の土地 ( land ) 。

これからもアイルランドをよろしくお願いします。

[ 2009年8月 パブ助]

参考資料: 世界地名語源辞典 蟻川明男著 古今書院


雪と氷の旋律

ザ・ベスト・オブU2 18シングルズ

アイルランド政府観光庁: www.ireland.com
アイルランド政府商務庁: www.enterprise-ireland.or.jp
Discover Ireland: www.discoverireland.ie

アイスランドに関する公式ホームページ: www.iceland.jp
英国政府観光庁: www.visitbritain.jp

INJ Link アイルランドの地図とカウンティー
INJ Link 君はどのぐらいアイルランド人?
INJ Link ハリウッドで活躍のアイリッシュ・アクター
INJ Link アイリッシュ・シチューのレシピ

 


 カテゴリ:記事 
2017.04.30article

アイリッシュパブでよく見る三つ葉のシンボルについて知っていますか。実はここにもケルト人の秘密が隠されていたようです。クローバーではないですよ。

アイリッシュパブでよく見る三つ葉のシンボルについて知っていますか。実はここにもケルト人の秘密が隠されていたようです。クローバーではないですよ。

アイルランドのシンボル、「シャムロック」

アメリカ映画 「エリン・ブロコビッチ」を見ていたところ、ジュリア・ロバーツ演じる主人公、エリンがこう言いました。

「それ (廃液槽跡) は埋め隠されてるの。あんまり気をつけてやってないわ、だって表面を1インチでも掘れば土はシャムロックみたいに緑なんだから。」
" They've been covered over. And not too carefully, because if you dig one inch under the surface the dirt's as green as a f*****g shamrock."

この映画はジュリア・ロバーツが産業廃棄物で地域を汚染する、巨大企業に対する訴訟で奮闘する、実話に基づいた話ですが、この台詞は彼女がボスの弁護士に、汚染されて緑色になった土壌を説明するのに使った言い方です。エリン (Erin) はアイルランドの国名エール (Eire) が由来の名前で、そういうことを脚本家が意識してこのような台詞を入れたのかも知れませんが、シャムロックが「緑」の代名詞に使えるだけアメリカでは一般的なようです。 (ちなみに日本語の字幕では「掘り返せば汚染された証拠が出るわ」でした)

アイリッシュパブなどでよく見かける3つ葉の植物はアイルランドの国花、シャムロック – Shamrock です。World Intellectual Property Organization (世界知的所有権機関) にアイルランドのシンボルとして登録されています。アイルランドの国章はアイリッシュ・ハープ (竪琴) なので、日本で言えば桜のようなものでしょう。シャムロックは、聖パトリックが布教に使ったということ以外は何も分からないので、探ってみることにしました。でも、日本の様々な百科事典を見てみましたが、シャムロックに言及するものは一切ありませんでした。これは手ごわそうです。

エメラルドグリーンの島
アイリッシュパブに限らず、ヨーロッパ、北米、オーストラリアでも、アイルランドとシャムロックはフランスとワインのように誰もが思い浮かべる関係です。オーストラリアと共にアイルランド系の人が多いアメリカでは、先の映画のようにグリーンはアイルランドの色として、シンボリックに祭りや映画などに出てきますが、3月17日のセント・パトリックス・デイにはグリーンを身に付けていないとつねられるといった遊びもあるようです。

このアイルランドのシンボルカラーの緑もシャムロックが由来だと言われています。アイルランドはメキシコ湾暖流のおかげで一年を通して寒暖の差が少なく、積雪もほとんど無く、湿度が高いせいか芝が一年中青々しています。エメラルドグリーンの島と言われるゆえんです。そんな緑の島、アイルランドでシャムロックは簡単に見つかります。

シャムロックと聖パトリック
そもそもシャムロックがアイルランドのシンボルとなったのは、アイルランドの守護聖人、聖パトリックとの関係であると言われます。聖パトリックがキリスト教をアイルランドの人たちに布教する際に、三位一体を説明するために使ったということです。聖パトリックはシャムロックの3枚の葉をそれぞれ、父なる神、子イエス・キリスト、聖霊、に例え、それらが一つの茎でつながっていることを示して三位一体を説いたのです。しかしです。実際に聖パトリックがシャムロックを使ったかは不明な点があり、この話が文字として記録されている最も古いものでも、聖パトリックの死後1000年近くたっています。

特別な数字「3」
キリスト教がアイルランドにもたらされる以前からシャムロックはケルト人の魔術師で預言者的存在であるドルイド僧の間では神聖な植物だったようです。紀元前5世紀ごろから紀元前1世紀ごろまでヨーロッパに定住し、その後ローマ帝国によってアイルランドやウェールズなどの一部の地域に追いやられたケルト人。中でもアイルランドはローマ帝国の侵略を受けなかったためにケルト文化が色濃く残りました。謎の多いケルト人ですが、そもそもそのケルト人の間では 「3」 という数字は特別な数字でした。

そういった 3 への信仰を物語っているものにケルト神話の三組神 (Triad – トライアッド) があります。これはケルトの神々がしばしば三体で一組の神となるというものです。例えばケルト神話に出てくる戦の女神モリガン (Morrigan) は、バドヴ (Badb)、マハ (Macha)、ネヴァン (Nemain) というかたちで神話に登場します。同じように女神ブリギド (Brigind) は、詩文の才、治癒、鍛冶という三つの要素を司っています。女神マトレス (Matres) は赤子を抱いたもの、産衣持つもの、哺乳瓶を持つものといった三様の形があります。また、ケルトの信仰の対象であった人頭ですが、カウンティー・キャヴァンで出土した石の頭には三つの顔があります。

その他、アイルランドの神話・伝承には3人の兄弟や息子、3つの頭の怪獣などがよく出てきます。ケルトの詩や物語では、数を記すときに 3つの20 や、3つの50 と、3組で表現することが多くあります。また、装飾でも 3 はよく見られます。発掘された銀製の釜に3頭の牡牛、3人の戦士の浮彫りがあったり、貨幣に3つの顔が刻まれていたりします。3本の角を持つ牡牛の彫刻が発見されたりもしています。マン島の三脚の紋章(三脚ともえ紋)はケルトが起源と言われています。

そんなケルト人にとって呪術的な意味を持つ、3 という数の葉を付けたシャムロックは、まさに神聖な植物だったのです。

アイルランドではキリスト教が流血を伴わず布教された場所でもあります。アイルランドでの布教は土着の信仰を尊重する形で行われました。聖パトリックが、古代から人々が既に持っていた信仰になぞらえ、シャムロックを使って三位一体を分かり易く説明したとしても不思議なことではありません。その後シャムロックはその意味合いが変わってゆきます。17世紀にはアイルランドでは、イングランドによってアイルランド語とカソリックの信仰を禁止され抑圧された状態に対するナショナリズムの表現として、シャムロックを身に付けることが行われたりもしました。その弾圧下19世紀には身に付けることで捕まり処刑されることもありました。

アイルランドを出ると!?
こんなシャムロックがアイルランド島を出ると不思議なことがおこります。例えばアメリカに行くとアイリッシュとの関連イベントに4つ葉のクローバーをたまに見かけます。そもそも4つ葉のクローバーは見つかりづらいということから縁起の良い幸運のシンボルとなっていますが、調べてみてもシャムロックとの関係を示す資料は見つかりませんでした。シャムロックがアメリカに渡って他の習わしと混同されたのでしょうか。

また、スコットランドのプロ・サッカーリーグにグラスゴーを本拠地とするアイルランドで最も人気のある、セルティック(The Celtic Football Club)というチームがあります。もう一つのグラスゴーのチームでライバルにレンジャーズがあり、両者が対戦する試合は「オールド・ファーム・ダービー」としてすごい盛り上がりになりますが、このセルティックのシンボルも4つ葉です。プロテスタントのレンジャーズに対抗してアイルランド系の人たちが作ったカトリックのセルティックは、アイルランドとのつながりが強いチームですが、なぜか4つ葉です。これはもう少し調べてみないと分からない謎です。

シャムロックはどの植物?
シャムロック – Shamrock (Seamróg) – とはアイルランド語で、若い牧草(クローバーなど)を意味します。ちなみに、クローバーの語源を調べると、ローマ神話の英雄ヘラクレスが持っていた棍棒に三つこぶがあり、クローバー (ツメクサ) の形がその棍棒に似ていたので、ラテン語で棍棒を意味するクラバ(clava)がクローバーに変化したそうです。つまりシャムロックとは語源が違うのです。

ではいったいシャムロックはどの植物を指すのでしょう。シャムロックを英語圏の百科事典で調べると、

   wood sorrel ( Oxalis acetosella コミヤマカタバミ)  [カタバミ科 カタバミ属]、
  white clover ( Trifolium repens シロツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
  suckling clover   ( Trifolium dubium コメツブツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
  red clover ( Trifolium pratense ムラサキツメクサ)  [マメ科 シャジクソウ属]、
  black medic ( Medicago lupulina コメツブウマゴヤシ)  [マメ科 ウマゴヤシ属]、

とあります。結局、一本の茎から3つ葉が出ている植物は何でもシャムロックになってしまうようです。シャムロックとは3つの葉をもつ植物をモチーフにした装飾デザインで、特定の品種を指してはいないようです。まあ、そのほうが神秘的です。アイルランドだけに人知れず生えている植物かも知れません。なお、アイルランドのお土産店で見るシャムロックの押葉や、お土産用の種から生えて来るシャムロックを見ると日本で3つ葉として連想するものよりも小ぶりのようです。

シャムロックはあちこちに
今ではシャムロックは宗教色も薄れ、アイルランドのシンボルとして欧米では広く知られています。アイルランドのお土産屋さんにもシャムロックがたくさん並んでいます。いろいろなものにモチーフとして使われています。

コネマラ・マーブル

サッカーの国際試合では北アイルランドとアイルランド共和国はそれぞれチームを出していますが、ラグビーの国際試合では伝統的にオール・アイルランドとして北アイルランドとアイルランド共和国とで合同チームを作って出場しています。そこでチームのシンボルとして使われているのがシャムロックです。ちなみにUKの中で、北アイルランドのシンボルもシャムロックです。アイルランドの国営航空会社、エアリンガス(Aer Lingus)は大きなシャムロックを尾翼につけています。これがアメリカに飛んで行けばアイルランド系の人たちはアイルランドに行きたくなるのではないでしょうか。日本とアイルランドの間には直行便が無いので、エアリンガスには頑張ってもらい、日本にシャムロックを運んできてもらいたいものです。

結局、2,500年以上もアイルランドの歴史をさかのぼることになりましたが、シャムロックは思った以上にアイルランドにとって特別なシンボルでした。これでシャムロックの謎が少し解けました。今度、友人とセント・パトリックス・デイ・パレードを見るときや、パイントの上に描かれたシャムロックを味わうときは、ケルト人と聖パトリックの神秘について、少しうんちくを披露してみると話が盛り上がるかも知れません。

[2005年11月 Samon]

 

参考文献:
ケルト人の世界 / T.G.E.パウエル著 / 笹田公明訳 / 東京書籍
幻のケルト人 ヨーロッパ先住民族の神秘と謎 / 遠藤 紀勝、柳 宗玄著 / 社会思想社
ケルト神話 / プロインシャス・マッカーナ著 / 松田幸雄訳 / 青土社
図説ケルト神話物語 / イアン・ツァイセック著 / 山本史郎、山本泰子訳 / 原書房
ケルト神話と中世騎士物語「他界」への旅と冒険 / 田中仁彦著 / 中央新書
物語アイルランドの歴史 欧州連合に賭ける”妖精の国” / 波多野裕造著 / 中央新書
図説世界シンボル事典 / ハンス・ビーダーマン著 / 八坂書房
西洋シンボル事典 キリスト教美術の記号とイメージ / Gハインツ=モーア著 / 八坂書房
The New Encyclopedia Britannica / Encyclopadia Britannica Inc.
Encyclopedia Americana / Grolier Inc
日本大百科全書 / 小学館
原色牧野植物大図鑑 / 牧野富太郎著 / 北隆館
BBC News (web site)
The History Channel (web site)
The Encyclopedia Mythica www.pantheon.org
Cavan County Museum www.cavanmuseum.ie

Cavan Tourism www.cavantourism.com
National Museum of Ireland www.museum.ie
Isle of Man Government www.gov.im
The Celtic Football Club www.celticfc.net
Irish Rugby.ie www.irishrugby.ie
Aer Lingus www.aerlingus.com

INJ Link セイント・パトリックス・デイ – 人物、パレード、歴史
INJ Link アイルランド人とハロウィーン

図説 ケルト神話物語
図説 ケルト神話物語

ケルト人の世界

 カテゴリ:記事 
2017.04.29article

アイルランドの移民の歴史をアメリカ合衆国にフォーカスしたお話の後編です。アイルランド人のディアスポラ (大離散) は続きます。

アメリカ大統領とアイルランド系移民 (後編)

 

 

ジャガイモ飢饉

Famine1845年から1850年に渡りアイルランドで起こったジャガイモ飢饉 (Potato Famine / the Great Famine )。100万人が飢えや病気で命を落とし、200万人が北米へ生きるために渡って行きました。日本ではこの飢饉は、「アイルランドの土地が痩せていたために起きた自然の摂理」 のようなこととして話されますが、実際は人災の性格が多分にあります。現に、ジャガイモの不作はアイルランドに限ったものではなく、ヨーロッパ全体に起こっていました。ジャガイモ飢饉アイルランドだけが甚大な被害を被ったのには、その時代の経済の仕組みと植民地政策があります。

イングランドによる植民地化のもと、カトリックのアイルランド住民は高い地代や税金を課せられ、払えない者は強制退去させられ土地を失い、小作人になって行きます。地主は穀物よりも利益を上げやすい家畜を飼うため、畑を牧草地に変えました。これにより必要の無くなった借地人や農業従事者を追い出していきました。また、イングランドの工業製品はアイルランドの熟練工も貧困に追いやっていきました。アイリッシュは地主に収めずに済むジャガイモで何とか生活してゆきます。このような被支配層のカトリックであるアイリッシュが、ジャガイモしか得られない状況に追いやられていたときに、ジャガイモが枯れる病気が起きるという悲劇が起きました。

Potato Famineさらに、反アイリッシュ、反カトリックの偏見がイングランド支配層の大飢饉に対する無策を助長しました。実際、この危機的状態の中、食料の市場への供給不足による価格高騰を恐れたイングランドは、穀物、肉、乳製品など大量の食物を、アイルランドからグレートブリテン島へ以前と同じように運び出していたのでした。 また、アメリカからの救援用のトウモロコシの多くはイングランドに送られてしまいます。歴史家によっては、植民地アイルランドで、イングランドが何もしないことによって抵抗勢力を排除できると考えた、と言う人もいますが定かではありません。ともかく100万人が死んでいっている時に、食物がアイルランドから運び出されていた事実は、飢饉が自然の摂理などではなかったことを示しています。ただ、これを契機に穀物の輸入を制限し、イギリス国内の穀物価格を高値に維持する、階級間の格差を助長してきた、「穀物法」が1846年、廃止されることになりました。

 

 

アイルランド語の衰退

アイルランド語は植民地支配によって支配層の英語に駆逐されて行きますが、依然として一般の人々の間では使われていました。ヘンリー8世による王の宣誓もアイルランド語に翻訳さなければならなかったぐらいです。しかしアイルランド語はこの大飢饉で大きく衰退します。土地を奪われ飢饉で餓死したり移民していった殆どが、被支配層のアイルランド人だったからです。

 

 

新天地、アメリカで

Shipスコッチ・アイリッシュと違い、悲惨な状態から何とか旅費を工面でき、しかも棺おけ船と呼ばれた悲惨な船旅で(20%が死亡!)、命からがらアメリカに渡ったアイリッシュは、プロテスタントの国、アメリカにおいてまたも偏見の犠牲になります。アイリッシュの貧しさはカトリックと関連付けて考えられ、カトリック教会そのものが民主的制度の敵として捉えられたのでした。 "Help Wanted – No Irish Need Apply" 「人材求む – アイリッシュの応募、お断り」の張り紙が出され、職に就くことがもできず差別されます。そんな中でアイリッシュがありつくことが出来たのが、過酷な運河や鉄道などの建設現場での仕事でした。

アイルランド人はケンカ好きという俗説がありますが、恐らく移民当初の、仕事も見つからず手に職のない者への偏見から出たものでしょう。また、苦しい生活の中、酒に溺れてケンカをする者が出たりもしたでしょう。ちなみに、そんなアイリッシュでも腕っ節だけでお金を手に入れられるボクシングというものもありました。

 

 

南北戦争

  Meagher
トーマス・フランシス・マハー
 (Thomas Francis Meagher)
ニューヨーク第69部隊、"The Irish Brigade" 准将

アイリッシュへの偏見も南北戦争 (1861-1865) のころから、しだいに薄らいでゆきます。アイリッシュの戦いでの貢献が不信感を和らげて行きます。南北戦争では多くのアイリッシュが犠牲となりました。アイリッシュは当初、周囲の彼らへの不信感からアイリッシュだけで1つのブリゲイド(旅団)に組織されることが多くありました。新天地への忠誠心を示すため故郷から離れた土地で、アイリッシュで編制されたブリゲイドが、南北に分かれて殺しあうという悲劇も起きました。今ではいくつもの勇敢なアイリッシュ・ブリゲイドの話が伝えられています。アイリッシュ・トラッドの歌、『 Paddy's Lament 』 などを聞くと哀しい当時の様子が窺われます。

 

 

政治進出と大統領選挙

アイリッシュは、増える同郷人の数とその連帯意識を利用して、労働組合をつくり、公務員への雇用権利の獲得など、次第に力をつけてゆきます。また、雇用機会の見返りに選挙の票を獲得するなど、政治的にも力を発揮してゆきます。タマニー協会といった政治クラブはニューヨークで大きな力を持つようになり、1870年代にはバールーム・アソシエイション(酒場結社)がボストンなどで多く作られ政治的にアイリッシュが進出してゆきます。

50 Centsそうしてたどり着いた頂点がケネディ家なのです。ちなみに、ケネディ家は飢饉の時期の移民ですが、経済的には比較的良い方で、チャンスを求めてアメリカに渡った人でした。1960年代にはアイルランド系の人々は社会で受け入れられていましたが、ジョン F. ケネディの大統領選ではカトリック教徒ということが足を引っ張ります。この時点でもカトリックの大統領は生まれていなかったのです。ケネディは、選挙戦中、ヒューストンでの演説でこの宗教の問題について、次のように述べます。「どの教会を私が信じるかは重要ではない。それは私個人の問題である。大切なのは、どのようなアメリカを私が信じるかと言うことだ。」このような発言で、カトリックということへの不信感を払拭してゆきます。結局、ケネディは第35代のアメリカ大統領となります。カトリックのアイルランド系アメリカ人が大統領になるのに、建国から実に185年かかったことになります。

Capitol Hill White House

 

 

ケネディ大統領

ケネディは、メディアの台頭、公民権運動、ベトナム介入、キューバ危機、暗殺、といった、アメリカ現代史に大きなインパクトを与えた事柄に関った大統領のため、誰もが知っています。また、若く、任期半ばで亡くなったこともあり、絶頂期のイメージのまま、皆の記憶に残り、人気の高い大統領です。アイルランド本国でもケネディ大統領訪問の際の歓迎振りは今でも語り草です。(RTÉのサイト) (JFK Library and Museum)

JFK悲惨な状況から這い上がってきた大飢饉以降のアイリッシュにとって、またカトリックとして偏見を乗り越えたアイリッシュにとってケネディ家は成功の象徴的な存在なのです。アイリッシュとして誇りを持っていたアメリカ映画界の巨匠ジョン・フォード監督は、ジョン F. ケネディの大統領当選を知り言ったそうです、「初めて一流のアメリカ人になれた気がした」と。

 

[ 2008年8月 Samon ] 2017年4月 一部加筆

 

参考文献:
アイルランドからアメリカへ 700万アイルランド人移民の物語
   / カービー・ミラー、ポール・ワーグナー、茂木健訳 / 東京創元社
ケルト歴史地図 / ジョン・ヘイウッド、倉嶋雅人訳 / 東京書籍
ブッシュ家とケネディ家/ 越智道雄 / 朝日選書
ケネディ家の人びと/ ピーター・コリヤー、デヴィッド・ホロウィッツ、鈴木主税訳 / 草思社
西欧言語の歴史 / アンリエット・ヴァルテール、平野和彦訳 / 藤原書店

 

[ INJ Link アメリカ大統領とアイルランド系移民 (前編) ]


Views of the Famine : http://xroads.virginia.edu/~hyper/sadlier/irish/irish.htm
10 Downing Street / Sir Robert Peel : www.gov.uk/government/organisations/prime-ministers-office-10-downing-street


アイルランドからアメリカへ―700万アイルランド人移民の物語

Irish Brigade.com : www.irishbrigade.com
69th New York / History : www.69thnewyork.co.uk/History.htm
RTÉ Archives : www.rte.ie/archives
The White House / John Kennedy : www.whitehouse.gov/1600/presidents/johnfkennedy
The John F. Kennedy Library and Museum : www.jfklibrary.org

INJ Link アメリカの中のアイルランド
INJ Link ケルティック・フェスティバル in シカゴ
INJ Link タイタニック号と20世紀初頭のアイルランド

ギャング・オブ・ニューヨーク 遙かなる大地へ (ユニバーサル・セレクション第6弾) 【初回生産限定】 13デイズ  Sean Nos Nua
 


 カテゴリ:記事 
2017.04.29article

アメリカ大統領選挙の話題をアイルランドの移民の歴史と共にご紹介です。今回はその前編です。(2008年現在)

アメリカ大統領とアイルランド系移民 (前編)

Mt.Rushmore
アイルランドはかつて多くの移民を北アメリカに送っていました。このサイトを訪れる多くの方がアメリカ大統領のことに関心があるようなので、アイルランドとの関係でアメリカ合衆国の大統領を見てみました。アイルランド系である歴代大統領を挙げると以下のようになります。

第5代 ジェームズ・モンロー (James Monroe)
第7代 アンドリュー・ジャクソン (Andrew Jackson)
第11代 ジェームズ K. ポーク (James Knox Polk)
第15代 ジェームズ・ブキャナン (James Buchanan)
第17代 アンドリュー・ジョンソン (Andrew Johnson)
第18代 ユリシーズ S. グラント (Ulysses Simpson Grant)
第21代 チェスター A. アーサー (Chester Alan Arthur)
第25代 ウィリアム・マッキンリー (William McKinley)
第26代 セオドア・ルーズベルト (Theodore Roosevelt)
第28代 トーマス・ウッドロー・ウィルソン (Thomas Woodrow Wilson)
第33代 ハリー S. トルーマン (Harry S. Truman)
第34代 ドワイト D. アイゼンハウワー (Dwight David Eisenhower)
第35代 ジョン F. ケネディ (John Fitzgerald Kennedy)
第37代 リチャード・ニクソン (Richard Milhous Nixon)
第40代 ロナルド・レーガン (Ronald Wilson Reagan)
第42代 ビル・クリントン (William Jefferson Clinton)
第44代 バラク・オバマ (Barack Hussein Obama II)
(『北アイルランド「ケルト」紀行』 より)

White House緑で囲んだ3人が現在のアイルランド共和国に当たる地域からの移民の子孫です。更にその中で、カトリック教徒はケネディだけになります。その他ほとんどの大統領はスコッチ・アイリッシュ (Scotch-Irish、Scots-Irish) と呼ばれる人々です。

 

 

アルスター入植とスコッチ・アイリッシュ

Ulster12世紀後半に始まるアイルランドへのイングランドの侵攻は、16世紀、ヘンリー8世が王と宣言することにより支配を確立してゆきます。17世紀に入ると植民地化としてイングランドによって、スコットランド人のアイルランド北部への入植が組織されます。これがアルスター入植 (植民) です。この時、入植していった人々は長老派が多くを占めるプロテスタントです。

ここで、キリスト教について大雑把に少し。アルスター入植より以前、16世紀にヨーロッパで起きた宗教改革により、カトリックから分かれて新教、プロテスタントが出来ます。プロテスタントにはいろいろな宗派が生れますが、それらには、例えば、ルター派や、カルバン派 (スコットランド:長老派=プレスビテリアン)、そしてヘンリー8世がイングランドの国教とした英国国教会(Church of England / Anglican Church)などがあります。

Christ Churchさて、イングランドは英国国教会を国教とし、英国国教徒以外のキリスト教徒をイングランド国内で弾圧します。アイルランドではアイルランド国教会 (Church of Ireland)を設立し、イングランド王を教主とすることでアイルランドの支配を確立してゆきます。 イングランドにより、アイルランドに住むプロテスタント系住民は、税制や土地所有の制度が優遇されていました。しかし、18世紀になりイングランドはアルスターの国教会に属さないプロテスタントにも同じように重税を課してゆきます。プロテスタント系の "アイリッシュ" はカトリックのアイリッシュよりも経済的に余裕がありました。そこで、堪りかねたアイルランド国教会 (英国国教会) 以外のプロテスタントたちは、財産を売り払い新たな土地を求めて北アメリカに渡っていきました。これがアメリカでスコッチ・アイリッシュと呼ばれる、プロテスタントのアイルランド系アメリカ人です。

 

アイリッシュ・ディアスポラ

Emigrantアメリカ合衆国、イングランド、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに離散した、大規模な移民の動きはこのスコッチ・アイリッシュから始まり、1801年から1921年の間におよそ800万人のアイリッシュがアイルランドを離れてゆきました。

さて、アルスター以外でも、カトリックへの弾圧から逃れるために、移民が北アメリカを目指します。しかし、スコッチ・アイリッシュとは違い、アメリカに渡るだけ経済的余裕の無い土地を取り上げられた、元からアイルランドに住む多くの住人達は、圧政に耐えながらもなんとか生き延びてゆきます。しかし、アイルランド系移民の数が飛躍的に増えるきっかけとなる出来事がヨーロッパで起きます。ジャガイモの病気です。

[ 次回へつづく]

 

[ 2008年8月 Samon ] 2017年4月一部加筆

参考文献:
北アイルランド「ケルト」紀行 / 武部好伸 / 彩流社
アイルランドからアメリカへ 700万アイルランド人移民の物語
   / カービー・ミラー、ポール・ワーグナー、茂木健訳 / 東京創元社
ケルト歴史地図 / ジョン・ヘイウッド、倉嶋雅人訳 / 東京書籍

 

[ INJ Link アメリカ大統領とアイルランド系移民 (後編) ]


The White House : www.whitehouse.gov
The Presidents – the White House : www.whitehouse.gov/1600/Presidents
American President : www.americanpresident.org

アイルランドからアメリカへ―700万アイルランド人移民の物語

INJ Link アメリカの中のアイルランド
INJ Link ケルティック・フェスティバル in シカゴ
INJ Link タイタニック号と20世紀初頭のアイルランド
INJ Link アイルランドの地図とカウンティー

わが命つきるとも北アイルランド「ケルト」紀行―アルスターを歩く 

 


 カテゴリ:記事 
2017.04.22article

日本では必修科目履修漏れが話題ですが、必修科目を勉強しても日本の世界史には出てこないアイルランド史を題材とした、カンヌのパルムドール受賞映画を紹介していただきました。

『麦の穂をゆらす風』の試写へ行く

[by Samon, 2006年11月]

今年2006年のカンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルムドールを受賞した、『麦の穂をゆらす風』を試写会でいち早く見ることができたのでご紹介します。当日、試写室は満席でした。

映画は名も無い人々の姿を題材にしてきたイギリス人のケン・ローチ監督の作品です。ストーリーは1920年代の英国に対するアイルランドの独立戦争から内戦に移ってゆく中、南部、コークの村のある兄弟を中心に激動の時代の様子を描いています。同じような時代を作品にしたものに『マイケル・コリンズ』(96年) があります。『マイケル・コリンズ』がそのタイトル・ロールの主人公やエイモン・デヴァレラなどの歴史の表舞台に出てくる人物の姿を描いたのに対し、『麦の穂をゆらす風』はその時代に生きた一般の人々の姿を描いています。原題の『 The Wind That Shakes The Barley 』 はアイルランドのレベルソングのタイトルからとったそうで、映画の中でも歌われています。主演のキリアン・マーフィーを含めコーク出身の俳優が集められ、映画の冒頭、話されている強いコーク・アクセントの英語がとても聞き取りづらく驚かされました。

映画は、緑多い草原でのどかにアイルランドのスポーツ、ハーリングを楽しむ主人公達の姿から始まります。突然、悪名高きブラック・アンド・タンズが平和な村を襲い、恐怖の時間が去った後、不条理に殺された友人とその家族が残されます。そんな体験などを通し、医者になるはずの主人公、デミアンが、皮肉にも銃を持つようになってゆきます。幼馴染を殺すことなど辛い経験を通し人間的な感情を押し殺し、少しずつ理想のために冷酷にならざるを得なくなってゆく姿は、他に方法は無かったのかと、運命の残酷さを感じます。スポーツであるハーリングのスティック、ハーリーが軍事訓練の中でライフルの代わりになっているのが殺し合いの虚しさを表しているようで印象に残りました。

英国軍がアイルランドから撤退し、外国の支配からやっと解放たれ、家族や友人が平和に一緒に暮らせると思ったとき、今度は独立のあり方を巡って内戦へと発展してゆきます。主人公の恋人、シネードとその母親と祖母とその家が、アイルランドのたどった悲劇を象徴しているようでした。かつては英国軍によって蹂躙され、反英闘争のために場を提供し、今度は同郷人によって悲劇がもたらされる。そんなシーンがアイルランドの皮肉な運命を表しているようでした。そして主人公デミアンとテディーの兄弟にも悲痛な運命が待っています。

映画では、目を逸らしたくなるような場面や、涙がこみ上げてくるような場面がありますが、ハリウッドのような派手な演出ではありません。襲撃の際に右往左往するカメラや、撃ってもなかなか当たらない銃、登場人物たちを追いながら淡々と進むストーリーなど、セミ・ドキュメンタリー・タッチの演出は逆に引き込まれます。

映画は小さな村に住む人たちの目から描かれ、独立戦争から自治獲得と内戦に移る政治的なプロセスの説明は殆んどありません。主人公達は映画館のニュース・フィルムでイギリス・アイルランド条約 (Anglo-Irish Treaty) のことを知るように、私たち観客にも説明はそれだけです。情報の少ない環境で、意見を戦わせ、手探りで国の自由を求めて草の根的に国民が突き動かされていった当時の状況がわかるようです。歴史的説明が少なく等身大の一般市民を中心にしていることが逆にこの映画をアイルランドだけにとどまらないストーリーにしているようにも思えます。イギリスでは反英国映画だという意見も出たようですが、そのようには思えませんでした。強大な力によって虐げられた絶望的とも思える生活から抜け出すために、結局は銃を手にしなければならない状況におかれる主人公達のストーリーは、現代にも起こりうる悲劇であり、イギリス人のケン・ローチ監督が、自国による帝国主義時代の暗部をあえて、今、描いた意図を考えさせられます。

主人公を演じるキリアン・マーフィーの演技が素晴らしいです。全くカメレオンのようで、『バットマン・ビギンズ』の切れた演技や、『プルートで朝食を』での女装の妖艶な演技からは想像つかない、苦悩し理想に燃える熱い主人公を、説得力をもって演じています。

見終わった後、時代に引き裂かれた人々の運命がズシリと重くのしかかり、考えさせられる映画です。お勧めします。

『麦の穂をゆらす風 / The Wind That Shakes The Barley』
2006年 アイルランド-イギリス-ドイツ-イタリア-スペイン 作品
配給 シネカノン

The Wind That Shakes the Barley – Official Trailer
Festival de Cannes : www.festival-cannes.org
INJ Link INJ – 映画「マイケル・コリンズ」のダブリン歴史名所
麦の穂をゆらす風 プレミアム・エディション

 カテゴリ:記事 
2017.04.22article

ニール・ジョーダン監督の『プルートで朝食を』を観た Caragh さんから、感想をいただきました。キリアン・マーフィーが主演です。

『プルートで朝食を』を観て

[by Caragh, 2006年6月]

「物語だと思わなければ、人生なんて辛すぎるわ」…この言葉にまず惹かれて、観てきました。

物語は女装した主人公、キトゥンが乳母車を押すシーンから始まります。それに続くコマドリのシーンは空撮が美しくて、あっという間に物語の世界へ吸い込まれてしまいました。

映画を通して脳裏に浮かんだのは、「自分の居場所」「自分らしさ」。時代や場所がどうであれ、世の中の誰もが人生のどこかで一度はこれらを探し求め、その過程で悩んだり、憂いたりすると思うのですが、彼(彼女?)もまた同じです。愛らしいキトゥンの行く末には、いつだって困難が待ち構えています。しかし涙を見せることなくそれをお得意のファンタジックな世界につめこんで、母を探し愛を求める旅を続けるのです。自分の境遇や親友の死など、普通なら哀しい、辛いと思うことを笑いに包んでしまうキトゥンの生き方が、アイルランドそれ自身を象徴していたようで印象的でした。

作文の先生が書く題材の例としてイースター蜂起を挙げたり、デリーの事件が話題にのぼるなどアイルランド近現代史を知らないと楽しめないところもあります。しかしIRAやテロリストはあくまでも映画の一要素として描かれているにすぎません。予告を観る限りでは何だか暗い映画のように見えますが、音楽やファッションなどからむしろ 70'sファンの方が楽しめる映画です(実際に私がそうなのですから自信をもって言えます)。キトゥンの身につけていた立ち襟のレザーコート、ボウタイのついたラメニット、真っ赤なプラットフォームシューズにレトロなスーツケース…古着好きなら真似したくなる着こなしがいっぱいです。音楽の使い方も、センスがいいだけではなくその歌詞と場面とをきちんと合わせているところなど、ただならぬ映画という感じがしました。冒頭で使われた音楽、The Rubettes のSugar Baby Love (名前でわからなくても、聞いたことあるはず!)が、ラストシーンで再び流れ、旅の終わり、そして新たな旅の始まりを予感させます。

何か大切なものを見つけた、そんな気分にさせてくれる、可笑しく、時に哀しく、そして幸せになれる映画でした。

  作品 プルートで朝食を Breakfast on Pluto
      (2005年 愛・英) 135分
  監督 ニール・ジョーダン Neil Jordan
  出演 キリアン・マーフィー Cillian Murphy
    リーアム・ニーソン Liam Neeson
    スティーヴン・レイ Stephen Rea
    ブレンダン・グリーソン Brendan Gleeson
    ルーズ・ネッガ Ruth Negga
    ローレンス・キンラン Laurence Kinlan
    イアン・ハート Ian Hart
               他

INJ Link 『麦の穂をゆらす風』の試写へ行く
 プルートで朝食を
BREAKFAST ON PLUTO – TRAILER

 カテゴリ:記事 
2017.04.16article

映画にまつわるダブリンのロケ地の紹介をしてもらいました。ダブリンの楽しみはパブだけではないですね。この映画は必見です。

映画「マイケル・コリンズ」のダブリン歴史名所

[by Samon, 2006年4月] 一部加筆:2017年4月

今年は、アイルランド独立へのターニングポイントとなった、イースター蜂起から90周年となり、ダブリンでは4月16日のイースターの日曜日にパレードが行われ、12万人がダブリン・シティー・センターを埋め尽くしました(2016年4月27日には100周年の記念式典とパレードが行われました)。映画「マイケル・コリンズ (Michael Collins) 」は、ハリウッドで成功したニール・ジョーダン監督が1996年に満を持して作った、アイルランド独立の英雄、マイケル・コリンズを描いたハリウッド大作です。実話を基に映画化したため、その解釈に評価はいろいろあるかもしれませんが、アイルランドの近代史を理解するにはよい映画です。映画の舞台は多くがダブリンのため、撮影もダブリンで行われ、多くの建物や風景が登場します。次のような場所を、映画を見ながら確認できます。

GPO (General Post Office / 中央郵便局)

GPO映画のオープニング、1916年のイースター蜂起(Easter Rising)のシーンは、実際に GPO のセットをダブリンに作り撮影したそうです。オコンネル・ストリートを再現したこのセットは、アイルランドで作った映画用セットとしては最大で、まさにハリウッド資本の凄さを見た思いがしました。映画のDVDではドキュメンタリーが付いていて、それによると、多くの一般市民がエキストラに使われたようです。参加者は家に残っている一番古そうな衣服を着ていったそうです。ダブリンの私の知合いも、撮影当時の同じような話をしてくれました。実際の GPO は現在もダブリンの顔として忙しく働いています。屋内は多くの人が列を作る普通の郵便局です。1916年の出来事を思わせるものは、壁に掛けられている蜂起の様子を描いた絵画ぐらいでしょう。でも GPO の外側の柱には、当時の戦闘時の弾痕がいくつも残されています。もし傍を通ることがあれば柱を見上げてみてください。GPO の窓際にはイースター蜂起で亡くなった人々を記念して、死ぬ時も石柱に体を縛り、立ったまま死んでいったというアイルランドの伝説の英雄、クー・フラン (Cú Chulainn)の最期のシーンを再現したブロンズ像が飾られています。

 

キルメイナム刑務所跡 (Kilmainham Gaol)

この刑務所跡はシティーセンター北の、フェニックス・パークの近くにあります。他の映画でも利用されているので、見覚えがある方もいると思います。一番印象的なのは、同じくアイルランドを題材としたダニエル・デイ・ルイスの「父の祈りを」でしょう。一目でわかりました。見学ツアーではイースター蜂起のメンバーが入っていた独房や処刑場所(Stone-breakers' yard)、彼らの最後の様子などを紹介してくれます。「マイケル・コリンズ」では知ることが出来なかった、イースター蜂起の個々のメンバーの逸話が印象的で心打たれます。ここは多くの映画の舞台となった場所を見る楽しさがあり、また、アイルランドの歴史を考えさせられる興味深い場所でした。同じ敷地内にはアイルランド独立に関わるの近代史関連の展示もあり、共和国政府樹立宣言書などもありました。

 

クローク・パーク (Croke Park)

Croke Park映画の中でゲーリック・フットボールの試合中に選手や観客が犠牲になる場面がありますが、この舞台が街の中心にあるアイルランド伝統スポーツ‐GAA専用スタジアム、クローク・パークです。撮影用のクローク・パークはカウンティー・ウィックローのブレイにセットが作られたそうです。実際のクローク・パークは 1920年以降何度か改修されて、映画の中の面影はありませんが、イースター蜂起のオコンネル・ストリートの瓦礫を使ったという " Hill 16 " という観客席だけは改修後も比較的昔の形を残すようにデザインされています。西側のスタンドは「ホーガン・スタンド」という名前が付いていますが、これは犠牲になったティぺラリー・チーム選手の名前をとったものです。スタジアムが現在の形になる前に、以前、試合を見ましたが、すごい観客数と応援でした。今は8万人を超す収容人数を誇る巨大スタジアムです。ここはゲーリックゲームしか行われませんでしたが、長い協議の結果、サッカーとラグビーのスタジアムであるランズダウンロードが改修される間、それらのゲームもプレーしても良いことになりました。アイルランドの歴史と共に歩んできたクローク・パークを、簡単にゲーリックゲーム以外に明渡したくない気持ちも分かる気がします。GAA MuseumスタジアムにはGAA博物館があり、ゲーリック・フットボールやハーリングの歴史的品々の展示や、ゲーリック・ゲームのアイルランドの歴史に果たした役割などを紹介する記録映像などを流していました。チームのユニフォームやボールなどのお土産も売っています。

 

ハーペニー・ブリッジ (Ha'penny Bridge)
ダブリンのランドマーク、ハーペニー・ブリッジも映画の中で出てきます。はしけ船が係留されるシーンの撮影もあったようです。この橋の名前は昔、渡るのに半ペニー(half-penny)を払わなければならなかったためだということです。橋は1816年に造られ、その優雅な形は歴史を感じさせます。3年前に修復も終え、市民の生活の一部として今でも機能しています。

Ha'penny Bridge Ha'penny Bridge

 

フォーコーツ (the Four Courts)
国のあり方を巡り内戦になった際に、イギリスとの協定反対派の司令部となったのがフォーコーツです。映画でもマイケル・コリンズにより砲撃され、あちこちが爆破されますが、Four Courts映画館で初めて観たときはどのように撮影したのか驚きました。歴史的建造物で、かつ現在も使われている場所を実際に壊せないし…。建物は1796年に出来、名前のとおり 4つの裁判所があることからフォーコーツと呼ばれていています。今でもアイルランドの司法の中心です。

 

その他の舞台
ダブリン中心を離れ、ローカル電車、DART で南に向かうと、リアム・ニーソン(マイケル・コリンズ)とエイダン・クインが自転車で走るサンディーマウント (Sandymount) の海岸が見えます。さらに進むとダン・レアリー(Dún Laoghaire)に着きます。そこは桟橋でリアム・ニーソン、ジュリア・ロバーツ、エイダン・クイン演じるキャラクターが3人でデートをするところです。会員制のボートクラブやイギリスへのフェリーやヨットが停泊するマリーナがあり、港を眺めながら食事も出来る、しゃれた町です。19世紀ごろから、ウォーターフロントのちょっとした憩いの町だったようで、映画では説明はありませんが、監督は登場人物たちがつかの間の休息を楽しんでいるところを示唆していたのでしょう。もう少し南へ下るとジェームス・ジョイスの小説「ユリシーズ」に出てくる "ジョイス・タワー" があります。

Dún Laoghaire

 

Bewley's Cafeこの他には、ダブリン城はイギリス統治の中心として、そのまま多くのシーンに使われていますし、1592年創立のトリニティー・カレッジや、シティーホール、セント・スティーブンス・グリーン(公園)、マンションハウスといったダブリンの中心地が登場します。1840年創業のビューリース・カフェも出てきます。また、マイケル・コリンズがブリティッシュ・エージェントからタバコの火をもらうシーンは、実際のコリンズも関わり、アイルランド自由国憲法の起草がされた、1824年創業のシェルボーン・ホテルです。泊まると高いので、バー・ラウンジでパイントを楽しみました。
 

Trinity College
Trinity College
City Hall
City Hall
Dublin Castle
Dublin Castle (Bedford Tower)

このように、一部を除いて撮影場所はほとんどが歩いて回れる範囲です。乗り降り自由の屋根なし観光バスに乗ればキルメイナム刑務所跡にも行けます。

映画は、結局、イギリスからの自治獲得から内戦まで描かれます。センチメンタルに脚色されすぎだといった意見がある一方、アイルランドの近代史を本格的にスクリーンに映し出した意義が受け入れられ、映画はアイルランドで大ヒット。ベネチア映画祭ではグランプリと、リアム・ニーソンが主演男優賞を獲得しました。

この映画の後、よくアイルランド人の友人の間で映画の真実とフィクションの部分について議論されていました。それらは例えば、クローク・パークでの事件は装甲車によるものではなかった、といったものでしたが、多くの人には、後の首相、デ・ヴァレラの描き方が議論の的だったようです。公開当時、ダブリンの至るところの本屋で、マイケル・コリンズ関連の本が平積みになっているのを見ました。ニール・ジョーダン監督というアイルランド人自身によって作られた映画は、外国人が作ったアイルランド映画と違い、たとえ細部が誇張されたとしても、時代の雰囲気や、その時代の人たちの苦悩を伝えたいという意気込みを感じました。英雄で、時に冷酷、そして平和を愛するという複雑な人物を、皆に知ってもらいたいという情熱が伝わってきます。歴史物といってもサスペンスあり、ロマンスありで映画的にも楽しめます。最後のシェネイド・オコナー (Sinead O'Connor) の歌が映画のラストにマッチして、ストーリーを盛り上げます。

参考資料: 世界の映画ロケ地大辞典 / トニー・リーヴス著 齋藤敦子監訳 晶文社
Michael Collins Trailer (Warner Bros) :
The Official Neil Jordan Website : www.neiljordan.com
Historic Dublin Images & Michael Collins Movie Photos : www.irelandposters.com/irish_movies/
The National Museum of Ireland : www.museum.ie
Heritage of Ireland : www.heritageireland.ie
Kilmainham Gaol : http://kilmainhamgaolmuseum.ie/

Croak Park : https://crokepark.ie/
Gaelic Athletic Association : www.gaa.ie
The Courts Service of Ireland : www.courts.ie
Trinity College, Dublin : www.tcd.ie
Dublin Castle : www.dublincastle.ie
The Shelbourne Hotel : www.shelbournedining.ie
Bewley's Cafe Theatre : www.bewleyscafetheatre.com
Dublin Tourism : www.visitdublin.com
アイルランド政府観光庁: www.ireland.com
INJ Link INJ – 『麦の穂をゆらす風』の試写へ行く
INJ Link INJ – ハリウッドで活躍のアイリッシュ・アクター
マイケル・コリンズ 特別版

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